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2024.08.01

平和祈念式典(平和の広場)

8月6日 平和祈念式典

平和の広場内にある「平和の塔」は、昭和20年(1945年)広島・長崎の原爆によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、争いのない平和な世界を願って平成7年(1955年)に建立されました。

塔の中では、故山本達雄氏が広島から持ち帰った原爆の残り火が「平和の火」として燃え続けています。

毎年8月6日は、この平和の広場で平和祈念式典が開催されます。

平和の広場は豊かな自然が感じられる芝生広場で、昼間はベンチやシートを敷いてひと休み、夜間は天体観測など、くつろぎの場としても利用されています。

星野村に遊びに来られた際は、ぜひ平和の広場にもお立ち寄りください。

平和の火の由来

 星野村で生まれ育った山本達雄氏は当時、広島県豊田郡大乗村の暁2940部隊で任務に就いていました。その任務中の8月6日午前8時15分、原爆が投下されました。司令部に向かう汽車に乗車していた山本氏は幸いにも無事でしたが、その後市内の惨状を目の当たりにします。山本氏には、市内で書店を営む叔父がいました。父親代わりに自分を育ててくれた存在であり、安否が気掛かりでした。必死で叔父を探しましたが、終戦を迎え、復員命令が出され、叔父の行方はわからぬままとなりました。9月16日、最後の別れとして訪ねた書店の焼け跡、その地下壕で見つけたのは、くすぶり続ける原爆の残り火でした。山本氏はこれを叔父の遺骨代わりに、と持っていたカイロに移し、星野村へと持ち帰りました。

 その後、原爆の火は、山本家の仏壇に灯され、火鉢やカマドにも移され、23年間灯し続けられました。1966年8月6日、この火のことが朝日新聞に掲載され、多くの人がその存在を知ることとなりました。そして1968年8月6日、火が山本氏から星野村へ受け継がれ、星野村役場に建立された平和の塔に灯されました。以来、星野村では、毎年8月6日に平和祈念式典が挙行されています。

令和6年8月6日式典の様子

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